偶然の出会いと、変わらない日常。

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2018年が始まって一週間。
あちこちから、仕事始めの声が聞こえてきた。

一方でぼくの周り半径数メートルでは、相も変わらず仕事と休みの境の曖昧な時間が流れている。
時々感じるのだけど、ぼくの日々の暮らし方は20代前半の頃とほとんど変わっていない。

当時は、朝、なんとなく布団から起き出して、「今日はなにからやろうか」と考えながら楽器を抱え、ひとしきりなにかしらを弾き、曲を作ったり、バンドメンバーに必要な連絡などをしてアルバイトまでの時間を過ごし、アルバイトしながらも音楽活動のことに頭を巡らせていた。

今は朝、なんとなく布団から起き出して、「今日はなにからやろうか」と考えながら好きな音楽をかけながらパソコンに向かって原稿を書き、必要な人に必要な連絡をしたり、調べものをしたり、資料を作ったり、抱えているプロジェクトについて思案する。というように変わっただけで、大体家にいて何かを考えているという時間の使い方をしている。

なぜそうなったのか、と振り返ると、自分の人生を変えた出会いのことを思い出す。
偶然の状況や出会いが、自分自身が散々考えて下した決断以上に自分の人生を左右することがあるのは、人生における大きな不思議でもある。

小学5年生の時、父の仕事の関係で転勤して、函館の小学校に転入した。そのクラスにいたのがKくんである。スポーツが出来てルックスも良く、人気者のKくんには中学生の兄がいた。あるとき、彼は、バンドをやっていた兄の影響でギターを始め、すぐに周りの仲間にも楽器を始めることを勧めていった。ぼくがギターを始めたのも確か小学6年生の時だったと思う。

中学生になり、高校生になって、ぼくは音楽専門学校に通うために東京に行くことにした。あのときKくんに出会っていなければ、多分、母が時々わが子への願望を漏らして言っていた「あんたも北大(=北海道大学。北海道で最も偏差値が高い)に行けたらいいんだけどねえ」という言葉を受け止めて、どこかしらの大学を受験していたんだと思う。

それから東京に来て音楽活動を始めて10年も経つと、ミュージシャンらしい実力や仕事は無くとも、すっかりそれらしい生活だけは身についた。なんとなくこの生活感覚を今に引きずっているという意味で、Kくんの影響は計り知れないとやはり思う。

次のターニングポイントは、前職であるオイシックス(株)への入社である。入社が決まる前までの約半年間、ぼくはいくつもの会社に履歴書を出したり、面接を受けに行ったりしていたが、まったくいいところなく惨敗を繰り返していた。

オイシックスは、ぼくにとって、ライターという仕事を実質始めた場所であり、食や農業や地域といった、まさに今に繋がる仕事への道筋となった会社である。まさかこんなに長くライターや編集という仕事に関わり続けるようになるとは思っていなかった。

だから、もしあのとき、「ぼくを採用しなかった会社に採用されていたとしたら?」と考えると少し怖くなる。Kくんの次にぼくの人生を大きく左右したのは、ぼくを不採用にしたいくつかの顔も知らない人事担当者たちである。もちろん、その後ぼくを採用してくれたオイシックスの担当者は言わずもがなであるが。

2013年にオイシックスを退社して、今住んでいる千葉県いすみ市に引っ越し、フリーランスになった。いすみ市に来た事でぼくに起きたことは、お世話になっている編集者に声を掛けて頂いて2017年に『「小商い」で自由にくらす』という、いすみ地域を題材にした本を出せたことが、客観的に見てやはり一番のトピックだと思う。
また、いすみ市に来たことで友人のNPO(東京)から声を掛けてもらい、小学校でのメディアづくりに関わったり、中学校での授業を始められたのも東京にいたら考えられなかった。ライターインレジデンス「Local write」を始めたのも、やはりいすみ市に来たからと間違いなく言える。妻も気が付けばフリーランスのケーキ屋になっていた。

そのいすみ市へぼくをいざなったのは、いすみ市にある、とある宿の主人である。ただの夫婦の一泊旅行だったつもりが、夜ごはんを一緒に食べている食卓で、「ちょうど人を募集しているんだけど、夫婦で来ない?」と言われたのだ。

当時、ぼくたちは東京から北海道への移住をかなり真面目に検討していて、実際に足を運んで何度か見に行ったりもしていた。しかし、住まいや仕事やお金のこと、フリーランスになる不安を抱えて次の足を踏み出せずにいたところだった。しかし、そうして数ヶ月後にはいすみ市に住み、独立して始めた仕事と並行して宿の経営マネージメントを約1年間することになったのだ。そして現在は、前述のように、いすみに住んだことをきっかけに(クライアントは地元ではないが)いくつもの仕事にも恵まれるようになった。

影響を受けた人やお世話になった人はもちろんたくさんいるし、細かく見ていくともっとたくさんの人との巡り合わせで少しずつ人生が変わっているのだけれど、それらを度外視して、事実として人生に直接大きな影響を与えたのは、ここで書いた人たちだと思う。そしてそれらはすべて数年の時間が経ってから気づく。本当に先のことはわからないものだ。

このように、ぼくの人生のターニングポイントは常に自分ではなく他者だったのだが、ターニングポイントになった人というのは、不思議とその後の自分の人生との関わりが減っていくことが多い。
ターニングポイントから遠くに「離れる」ということが自分の成長なのかもしれないし、少し運命的な話になるが「必要な時に現れた人は、役割を終えると目の前から去る」ものなのかもしれない。

自分は誰かの役割になっているだろうか?と考えるとまるでおぼつかないが、きっとそれだって自然の差配なのだろうと思う。運命を変える豪快な出会いは、「あれがそうだった」と後になって気づくもの。冷静に考えると、ひとつの可能性に進んだ場合に、それ以外のすべての可能性が閉じられているということもまた事実であるわけで、無力な自分にできるのは、小さくて大切な出会いを一つひとつ大切にするということだけなのだろう。

さて、一年を一日に例えると、まだなんとなく布団から起き出したばかり。
「今年はなにからやろうか」

※inspiration from new year2018,『芸術ウソつかない』(横尾忠則/平凡社2001年),近所に音楽スタジオ付きの家に引っ越してきたジャスティン

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