「いすみの宝物は“人の繋がり”」。移住者と地元の人との相乗効果を生み出す、縁の上の力持ち。いすみライフスタイル研究所髙原和江さん

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2017年11月23日(木)~26日(日)に開催された、『LOCAL WRITE~房総いすみの物語を編む4日間~』の参加者によるインタビュー原稿を掲載しています。
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written by 伊東里菜

車を走らせると、広がる景色は海、川、農地、そして住宅、飲食店、スーパー等…。田舎とも言いきれず意外にも生活環境は良さそうな印象。
降り立ったのは商店街の一画、見た目は昭和感漂う軒が残る建物。中に入る前からもガラス越しに見えた女性の笑顔に出迎えられて…

溢れんばかりの笑顔

自然の中に住宅や店が混在する“いすみ”というまちで移住者サポートや地域の情報発信を担うNPO法人、その名も『いすみライフスタイル研究所』。移住者と地元の人が織り成す活動と、いすみの魅力である“人の繋がり”を支えています。

扉を開けてご挨拶。久しぶりに親戚に会うような、初対面でつい「和江さん」と呼んでしまいそうな、そんな温かな雰囲気に包まれた髙原さん。間もなく“いすみ”の地図を広げて、お仕事や髙原さん自身についてもお話してくれました。

※いすみ市は夷隅郡夷隅町、大原町、岬町が合併。人口約3.9万人。『NPO法人いすみライフスタイル研究所(*以降、略称『いラ研』)』は、2005年いすみ市誕生を機に、別々だった3町の商工会青年部が集まり、まちづくりの勉強会を始めたことから、その輪が広がり、青年部有志と市の若手職員などにより「いすみ市まちづくり推進協議会」が設立。活発な意見交換がされる中、具体的な活動に向けての動きが加速し、誕生しました。
現在は移住者(外部からの目線)と地元の理事(地元目線)で連携しながら、いすみ市の情報発信と地域活性化を目的として活動しています。内容は移住定住促進、情報発信、空き施設の活用、中間支援、マーケットやイベントの企画・開催、研修受け入れ、等。

ここで理事長を務める髙原和江さんは、千葉県いすみ市の里山寄り出身。高校卒業後は田舎を脱して約20年の東京生活、紆余曲折経てUターン。2010年にいきなり理事に就任。そこに至るまでの経緯に迫ります。

とにかくここを出たかった

「絶対ここにいたくなかった!」

この力強いひと言に当時の和江さんの心境がひしひしと伝わってきました。

高校生の頃は、このままここにいると車の免許を取って結婚して…と住み慣れた町を限られた世界に感じ、かと言って何かしたいこともなく。
とにかくここを出たいという和江さんのいすみ逃亡計画は、大学進学で実現しました。

かつて散々言われた「公務員か先生になりなさい」という親からの言葉通り、国語と書道の教育免許を取得したものの、大学卒業後は地元へ戻ることなく東京で就職活動。アニメに詳しくないのに「なんだか楽しそう!」という直感でアニメ関連の会社へ。
イベントや販売促進、新店オープン応援等々休日出勤も多くて大変でしたが、周りの人にも恵まれて、楽しかったから頑張れたと言います。

ただ、だんだんと「ずっと続けるのはむずかしいかな」と思いはじめ、本屋でたまたま、キャベツの見分け方等が書かれた野菜ソムリエの資格を紹介している本を見つけます。

野菜や果物に興味があったし「なんだか面白そう!」ということでアニメ関連の仕事を退職後、資格を取得。その後は野菜ソムリエの仕事をし、5年後10年後の目標と向き合いながらも、しばらく東京生活は続きました。

2ヶ月半の期間限定Uターン!?迷いの中で確かめた気持ち

20代後半はアニメ関連の会社で奮闘。30代を目前に、「長女の私が本当にこのまま東京で暮らしていていいのか?」と悩み、上司の理解もあり休職し一旦ふるさとに戻ることに。
和江さんにとっては、一度戻ってみるくらいの気持ちでしたが、ご両親は大喜び。お試しで戻ってみた2か月半くらいの間にいろんなことがあったそうです。
「今では笑い話」と言うさまざまな想い出も話してくれ、取材場所となったいすみライフスタイル研究所は笑いに包まれました。

確かに地元には両親がいて、家があり、家賃なども払う必要はない。でもそこで暮らす事に違和感があるまま、両親の言うようにしてしまっては、何かあるたびに親のせいにしてしまいそうだったので、そのまま戻るのはやめた。

その言葉に、自分の人生は自分で歩む意志の強さが垣間見えました。

時は流れ30代後半、都市生活に疑問と自然豊かな場所で暮らしたいという思いが高まり、再び故郷へのUターンも考えるも、仕事がないことがネック。千葉寄りの都市部へ住むことを検討するも中途半端さなどを感じ、思い切って故郷に帰ることに。
長女である和江さんは、ご両親が持つ田畑への責任も感じていたものの、自分一人では厳しいと、仲間探しも考えはじめていました。

同級生との再会で、本格Uターンを決断!

そんな中2010年10月下旬、妹と甥っ子と一緒に参加した地元のいすみ鉄道のイベントで、たまたま中学の同級生と再会。同級生が地元で働き、消防団などの活動もし、ボランティアで人形づくりなどもしていました。
「こんな同級生たちがいたら、なんだか大丈夫そう」と思えたそうです。そこからの行動は早い!その年の暮れには仕事なども調整しUターンしていました。

20代の頃は、あれほどここにいたくないと思っていた“いすみ”、30代後半になって故郷に戻ることを決断するとは、本人でさえも想像できなかったでしょう。

和江さんは2010年11月にUターンし、相談した市役所から紹介された『いラ研』に早速入会。その後理事に就任。NPO法人はボランティア活動が多いため、メンバーは本業をしながら活動をしています。和江さんも、移住定住相談窓口対応から、イベント企画・運営、事業管理や会計業務など、なんでもこなす。

合併して変わった“いすみ市”という名前。豊かな自然や変わらない風景。Uターン当初は、移住された方からいすみのことを教わることも。
故郷でありながらも、年を重ね、離れていたからこそ気づける魅力や幼い頃は知らなかったことが多く、とても新鮮でいすみでの毎日がとても楽しく思えたと言います。

そして何よりも自分の感性の変化に気づいた和江さん。都心では広告や商品、街路樹といった人工的なものに囲まれていましたが、いすみでは自然そのものが季節の移り変わりを気づかせてくれます。忘れていた感覚を少しずつ思い出していく感じだったそうです。

「本やネットだけでなく、現地へ足を運んで知って欲しい」

「徒歩圏のスーパーがなくてお年寄りには辛い」「商店街のお店が減っていく」等の課題もあります。発信力も高まってきた“いすみ”の新たな良い波が沸き起こる一方で、静かに淘汰されていく自然の摂理。
仕事も選ばなければなくはない、でも選べるほどはない。都内から来る人たちは、電車の本数の少なさや家の大きさに起因する家賃の高さ、自分で修繕する必要がある古民家の大変さなど、想像以上にわかっていないことも多いそうです。
それは実際に足を運び、自分の目で見て、現地の人の声を聞くことで気づけると言います。

いすみライフスタイル研究所の最寄り駅である、長者町駅。

東京までは特急で約70分。実際の“距離”は縮まらなくても“距離感”は変わってきて、お互いにないものを補完できる程良い遠さだと言います。
和江さんは昔は週3~4回、今も1~2回いすみから東京へ通っていて、いラ研のメンバーにも同様のライフスタイルの方々がいるそうです。移住が難しい人は東京と地方のミックスライフも選択肢のひとつとして、新たな暮らし方のヒントとなるかもしれません。

地元民と移住者の翻訳者として

和江さんの移住者支援は、いつも「移住を促すのではなく、その相談者がどんな暮らしをしたいのか、どれほどの規模を目指すのか」について、とことん向き合うそうです。

ぼんやりで何から始めて良いかわからない人、細かく計画を立てていてもリアル感を知らない人。いろいろな人がいますが、ここが向かないかもしれないな、と思ったら他の地域を紹介することもあります。行政が伝えられない内容でも私たちなら伝えてあげられることもある。それが私たちの役割。行政と民間が協働で取り組むのが理想的ですね。

なにかを始める移住者の方には、地域活動への参加や区長さんへのごあいさつ等の細かなアドバイスも。その人のライフスタイル、ビジョンに合わせたお家探しやキーパーソンの紹介等、ハブとなってお手伝いをしています。

移住者のフォローはもちろん、地元の人のフォローも大事。マーケットでは80代の代表の方と、移住してきた若いお母さま方が交わっています。地元の人は言葉足らずだったり、つっけんどんだったり、考え方や言葉ひとつにしても伝え方で誤解を生む可能性があるので、移住者と地元の人の通訳者として表現を変換するのが重要だと言います。

空き保育所でのマーケットは開催6年目、2018年1月で67回回目。ここでは場所や道具を提供するので、自分でお店を持ちたくても持てない人がモノを売ることに挑戦できる場です。


次のステップとして本格的な店を構えたい人には長者マートで商売に繋げる支援もできればと思うも、結局はその人ありき。起業のように大きく構えるのではなく、例えばお子さんとの時間を大切にしながら、暮らしありきでご主人がお仕事しつつ週末に奥さんが雑貨を売ったりしている方もいるそうです。

ゆるい繋がり 些細な喜び 次はさらなる自立へ

お腹の大きいお母さんが移住してきて、新たに誕生する“いすみっ子”。
老後の生活を考えて何度も足を運んでくれる人。
移住していなくても「前にお世話になったんです」と訪問してくれる人。
そんな緩い繋がりもいっぱいあって、そうしたことも和江さんのやりがいなんだとか。
出会った人みんなが友達で、いすみ市民は家族の一員、そんな親密ささえ感じました。

ボランティアでやっていることが多くて大変なこともあるけれど、お金には代えられないたくさんの喜びも。
そうしたお話をしてくれる和江さんは、屈託のない笑顔に包まれていました。

NPO法人は10年目で、今は第二の転換期。課題は自立です。
Uターンした時の思いにやっと取り組み始めることができたこともあり、新たに、仲間とともに、まちづくり会社『房総まちづくりカンパニー』の登記申請したところでした。『いすみ』ではなく『房総』という名をつけたのは、いすみだけでなく同じような輪を他の地域にも広めたいという想いから。

現実的には資金難でもあるというNPOの活動。「自立」というテーマは移住者へだけでなく、和江さんたち自身へのキーワードなのかもしれません。

移住者のテイクオフを助ける“縁の上の力持ち”

元々ポジティブでいつも笑っていることが多い、と自身を語る和江さんの秘訣は「無理はしない、やりすぎないこと」。
その言葉とは裏腹に、頑張り続けて止まない姿が目に浮かびます。

「実は理事長になる決断は重かった。アニメ会社時代の企画サポートのような裏方仕事が多く、また、思いも強かったので」という本心も。陰で支える縁の下の力持ちから、今は最前線に立って一緒に歩んでくれる縁の上の力持ちとして。

和江さんのおかげで“いすみで頑張っていこう”と思えた人が、どれほどいるだろう

サーフィンのメッカと呼ばれる、いすみの海辺を目にして、私はかつての経験したサーフィンの記憶を辿っていた。

―必死にパドリング、波と自分のスピードが一体になったらテイクオフ。
コツを掴む前、そっとボードを一押しするコーチのおかげで、海原の水面に立つ新感覚、サーフィンの虜となった。

小さな一押しがもたらす大きな前進。

まだ見ぬ自分らしいライフスタイルを求め、新天地で楽しめるかは自分次第。“いすみ”に限らない、よりよい場所や暮らしを後押ししてくれる和江さんの姿を重ね、その温かな人柄、全てを私はみなさんに伝えたかった。

「もっと、いすみや『いラ研』について紹介するべきだったかな」と、少し反省してるが後悔はしていない。

いすみに興味を持ち、和江さんに会いに行き、いすみを好きになってくれる人が一人でも多くいることを信じて…。

written by 伊東里菜(Local write#06いすみ参加者)
photo by 荒川慎一,磯木淳寛


◆開催パートナー・地域の募集◆
『ローカルライト』は、3泊4日で行うインタビューとライティングのワークショップです。参加者はインタビューとライティングについて学び、まちに触れ、人を知り、仲間を作り、最終的に原稿を仕上げていきます。これまでに、関東、関西、北陸、九州(2018/1月時点)で開催してきました。
まちにとっては取材対象とまちそのものを公報し、開催地と縁のある人を増やすという側面があり、参加者にとっては地域での暮らしや仕事を知り、書き手としてのスキルを育むという側面があります。
たとえば、「外部の目線で地域を発信したい」「webマガジンで公報したい」「地域の刊行物を作りたい」「地域の食に光を当てたい」というニーズがあり、開催に興味をお持ちの方は、ぜひこちらからお問い合わせください。※主催される地域の方の参加ももちろんOKです。

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次回の開催等をこちらのfacebookページでも告知しますので、どうぞご確認ください。

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